久しぶりに、夕刻の散歩を楽しみました。午後四時を過ぎているというのに空は青く、公園の並木道に連なるポプラが青空に向かってまっすぐに伸びていました。夫婦で何度も空を見上げて深呼吸・・・。子供たちの元気で楽しそうな声が響き渡って晴れやかな気持ちになって、私たちのひと足も勇ましい一歩になりました。
不要不急の外出を控える生活は不自由にも思えましたが、格好の読書三昧の生活ともなり、お会いしたこともない作者の方々を友のように、励まされた時間でもありました。
岸見一郎さんのお母様の人生最期の時間の話から
「(ドイツ語のテキストでアルファベットを病床で息子から教わってしばらく後のこと)・・・やがて意識のレベルが低下していって、根気がなくなってくると、今度はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んで欲しいと私(岸見氏)に頼みました。いつの日か、私が夢中で読んでいたのを覚えていたのです。そこで、母に読み聞かせをしました。しかし、やがてうとうとし始めて、聞けなくなったので音読は諦めました。母は病に倒れて間もない頃、身体を動かせないので、手鏡で外の景色を一生懸命見ようとしていました。病床でも生きる意欲を失わなかった母を見て、家族は勇気づけられました。その時、人間はどんな状態でも自由でいられることを私は学びました」 (NHK出版新書「今ここを生きる勇気 岸見一郎 著」より抜粋)
世界中が自粛一色の中で不自由な生活を味わってみると、障害や病を不自由とも不幸ともせずに、自由な心を持って生活している人の姿に尊敬を新たにしています。何を持っているか、どんな才能があるかではなくて、境遇や問題に支配されない人の生きる態度そのものが勇気や励ましや慰めを与えることを思わされ、自分自身の生きる姿勢の根幹には何があるのか考えさせられています。
「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(聖書)
空だけをひたすら見上げ続けるポプラの樹の姿に見とれて