「ひとりも失われないように」
我が子が迷子になったり、逆に自分自身が、迷子になってしまったという経験はありませんか。
私には、当時2歳未満の娘が、迷子になってしまったという忘れられない経験があります。娘の帽子を買って、会計を終え振り返った時です。たった今、私の足元にいた娘が急にいなくなってしまったのです。わずか数分間の出来事でした。気が動転している私に、店員さんは、「交番に行った方がいいよ。ついこの間も、迷子になった子どもがいたからね」と言ってくれました。不安を胸に交番に飛び込んだ私が、幼い娘の元気な姿を見た時の瞬間を想像することができるでしょうか。母と子の涙の再会でした。
子ども賛美歌の中に、このような歌があります。
「寂しい荒野で、叫ぶ声がする。群れから離れた羊を捜すため。罪のこの世、さまよう羊を連れて行こうイエス様のもとへ」 次いで「迷子の羊は『助けて』と叫ぶ。どこまでも行こう。捜し出すまでは」
子ども賛美歌ではありますが、神様の真理が隠されている内容です。
子どもでも、大人でも、迷いと不安、恐れの中、「助けて」と声を出したい時があります。聖書の中には、神様から離れてしまった人間の姿が、そのようなものとして描かれているのです。不安と苦しみ、悲しみの中を、まるで暗闇の中をさまよって歩いているかのような人間を神様は見つけ出して、本来の居場所である神様のもとへ帰って来るようにと、今日も待っておられます。
迷子の我が子を見つけ出した時の親の気持ち。それ以上に神様の愛は、大きくて深いものです。
「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。」(ルカの福音書15章4~6節)
いなくなった一匹の羊を最後まで探し続ける愛情深い この羊飼いこそ、イエス・キリストの姿なのです。聖書の話を聞いてみたい方、聖書を学んでみたい方、いつでも教会にお問い合わせください。 (T・T)